悲劇が起きました。〜悪いことに引っ張られすぎない方法〜
こんにちは。心理カウンセラーのはるかです。
先日、重い腰を上げて動画を撮影しました。しかも3本。
僕はもともと写真とか動画とか自分の姿の映るものが苦手で
最近ではマスクを外して動画を撮影していることもあって撮影のハードルは結構高め。
台本はずいぶん前から出来上がっていたのですが
撮ろう撮ろうと思いながら気がついたら1ヶ月経ってしまい
ようやく重い腰をあげて撮影にこじつけたのですが、悲劇が。。。
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僕は撮影をする前に、マイクや画角の調整のために何回かテスト録画をします。
この日ももちろん行いました。
何回か行って音声良し、画角良し、じゃあ本番!と3本撮影。
ようやく僕にとってハードルの高い「撮影」という大仕事をやり切って(しかも3本も)
大きな達成感と安堵感を感じながら編集のため動画をパソコンに取り込もうとすると…
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音が撮れていない
はい。終わりでーす。
音が撮れてないとリカバリーの仕様がないので3本とも全部ボツです。
見返してみると、リハーサルの段階ではしっかりと音声が入っているのに
本番になったとたん、3本とも無音。口パクしてるように見える僕の映像だけが虚しく流れています。3本全部。
その撮影のあと、実はすぐに別の動画を撮影したのですが(世に出すためではない)
そちらはきちんと音がとれています。
どうしてこうなった?
なにか見えない力が働いているとしか思えない。
世界が僕に動画を上げさせまいとしてないか?神様から意地悪されてないか?
そんな歪んだ認知が浮かびましたが…
認知というのは自然に浮かんでしまうものもあれば
自分であれやこれやと考え出すこともできるもの。(HSPとカウンセリング参照)
カウンセラーの端くれとして、この自然に浮かんできた考え方のあとに
「今回は音が録れてなくて無駄になってしまったけど、この経験を活かして次はマイクを変えたりリハーサルをもっと入念に行おう。それに同じ内容の動画を撮るので2回目の方が上手に喋れるはず。ここで諦めなければさらにクオリティは高い動画ができる」
と考え直すことができました。
これができると本当に気持ちが沈みすぎず、ちょっとした笑い話にできます。
(逆にこれができないと"せっかく頑張って動画撮ったのに。もう嫌だ。YouTube辞める!"ってなっていたかもしれません…)
カウンセリングをしていく上で、やっぱり自分自身で効果を感じるってすごく大事なこと。
自信を持って勧められるしね。
リフレーミングといって、ものごとの解釈をもう一度捉え直す。悪い面じゃなく良い面に注目する。
これが癖になるとずいぶん生きやすくなります😌
ちなみに2回目のトライで撮った動画はこちら↓
サムネの顔がやばいことになってます。オネェ?